パワースポットらしい小野照崎神社に行ってきた
こんにちは。shonkenです。
突然ですが、皆さんは「小野篁」という人物をご存知でしょうか。
というか読めますか?笑
「篁」=たかむら、と読みます。
知名度はあまりないかなと思います。
ただ、小野妹子は知ってますよね。
そうです、彼は小野一族です。
私が小野篁を知ったのは、『鬼灯の冷徹』というアニメで知りました。
平安時代では珍しく、身長が180cmあったとか。(当時の平均は160cm)
また嵯峨天皇に暴言を吐いたことがあるとか。
「悪(さが)無くば善けん」=嵯峨天皇なんていなければいいのに。
という言葉書き、問題になったとか。
そこで、「子子子子子子子子子子」を詠んでみよ!
と言われた際、「ねこのこねこ、ししのここじし」詠み、
驚嘆させて許してもらったとか。
前置きが長くなりました。
彼、多動力で有名らしいんです。
そんなパワーをいただきに、東京メトロ日比谷線入谷駅近くにある
小野照崎神社に行ってきました。
小野篁(おののたかむら)とは
生まれは802年、死没は853年。平安時代前期に活躍した人物です。
父親は優秀なのに、弓馬ばかりで一切学問に取り組まない残念な子でした。
『令義解』の編纂にも深く関与するなど明法道に長け、政務能力に優れていました。
明法道というのは、今で言う法律を学ぶ学問見たいものです。
また、彼は有名な歌人でもありました。
百人一首にもあります。
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」
現代語訳すると、
「広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ、
と都にいる人々には告げてくれ、漁師の釣り船よ。」*1
となります。
地獄で働いていた!?
小野篁は朝廷と地獄で働いていたらしい。
母が亡くなり、母に会うために冥土に通い始めたそうです。
そこで苦しむ母をなんとか救おうとして閻魔大王に直談判したのがそもそもの始まりでした。
井戸は地獄につながっているといわれているみたいで、
現代で考えると、
「貞子と並ぶ、井戸から出てくるのが似合う男」ですね笑
藤原良相(ふじわらのよしみ)を地獄で弁護した。
西三条大臣とよばれた藤原良相が病で亡くなりました。
良相が閻魔大王の御前に立った時、
そこには、なんと小野篁がいたんです。
篁が大王に、
「閻魔様、このお方は大変いい人ですよ〜。許してあげてください。」
とお願いしたそうでうす。
良相が目を覚ますと、なんと生き返っていたんです。
篁にお礼を言いに行くと、
「あなたは昔私を弁護してくれました。そのお礼です。誰にも言わないでくださいね。」
想像つくと思いますが、こんなこと言われたら
感謝より恐怖感が強くなりますよね笑
この先ずーっと篁は恐れ続けられます。
余談ですが、「昔の言わないでください。」
は絶対にバラされますね笑
全然接点のない紫式部も篁と意外なつながりがあった。
紫式部は973年ごろに生まれです。一方篁は853年に亡くなっています。
なぜ時を超えて接点を持つことになったのか。
それはもちろん、「地獄」です。
紫式部は地獄に落とされたみたいなんです。
なぜ地獄に落ちたのがわかったのかはいささか疑問ですが笑
お寺でもなんでもない場所で並ぶように建てられています。
「地獄で式部を助けてあげて〜!」と言う願いがあったんでしょうね。
その結果、紫式部は篁に地獄から救われたと言います。
なんでそんなことわかるの?って言うのは禁句です笑
小野篁と多動力
篁は朝廷で働き、歌人としても活躍し、さらには地獄でも働いていた。
まさに多動力を体現した人物です。
彼がもし、現代にいたらどうなるでしょうか。
勤勉ではなかったですが、才能はあったのでそつなく勉学を積み、
好きなことを見つけたら猛烈に才を発揮したでしょうね。
地獄まで行って母に会いに行ったことを考えると、
非常に家族思いかもしれませんね。
ではでは。